スペイン・バルセロナの観光といえばガウディのサグラダ・ファミリアが定番ですが
ガウディ建築の独創性を楽しんだ後に、ぜひ見てほしい建築があります
ガウディの後に見るからこそ実感できる、時代の変革をしめすミニマリズムの建築です
バルセロナ・パビリオン
1929年 バルセロナ万国博覧会のドイツ館として設計されました。
<スペイン国王夫妻を迎えるためのレセプションホール>
設計はドイツ人の建築家ミース・ファン・デル・ローエ。通称ミース。

Photographed by Fundació Mies van der Rohe
真っ白な天井が印象的です。
天井の端部、軒のラインが長く伸びていて気持ちがいいですね。
広角レンズで撮影されている効果もあるので多少パースがかっていますが、建築の構成=床・壁・天井がよくわかります。
機能美を追求した建築 バルセロナ・パビリオン
うつくしい空間とはこれ!ぜひ!映像お借りました
A.モダニズム建築の中でも合理性・機能性を追求しすぎた建築だからすごい。
合理性と機能性のモダニズム建築ですが、ミースはそれを追求しすぎて抽象的、幾何学的(図形的)にまで落とし込みました。
極めすぎて批判もでたけれど、今となってはモダニズムの最高峰。
「現代を洞察して技術を詩にまで高めた人物」と評されるほどの建築家です。

Photographed by Fundació Mies van der Rohe

1968年に復元された建築のためバルセロナ万博当時のオリジナルではありませんが、ミースの意図を尊重しています
高級な石をふんだんに使い、石の模様を生かしたとてもインパクトのある壁です。
ここまで派手な石を用いることができるのは、それこそ他に装飾的要素が少ないからでしょう。
機能と装飾を兼ね揃えた合理性のある壁です。
より少ないことは より豊かなこと Less is more.

Photographed by Fundació Mies van der Rohe
最小限だからこそ、それぞれを最大限に生かしているバルセロナ・パビリオン。

Less is more.
この建築が住宅ではなく「レセプションホール」という特殊な用途であることも、徹底したミニマリズムの追求を可能としました。
バルセロナ・パビリオンは人が集まりゆるやかに移動するための空間です。
スムーズな動線が得られるゆとりと、壁に誘導される流れるような空間構成が特徴です。
美術館のような印象も受けられますね。
神は細部に宿る God is in the detail.

Photographed by Fundació Mies van der Rohe
例えば、この写真では天井の軒先と、壁、床のラインがタテにまっすぐ通っています。
床や壁のパネルなど、パーツがとなり合うときに出来るこの線を目地(めじ)と呼びますが、
建築ではこの目地をいかに揃えるか、いかに通すか、いかに整えるか、ということに力を注いでいます。

God is in the detail.
目地は通っていなくても大枠の構造があれば物体として成り立ちますし、必要な場所もできます。
ですが、もしこの目地が通っていなかったら、写真のような緊張感や端正さは生まれません。
細部までコントロールすることで、空間の魅力を最大限に表現するというミースのストイックな姿勢が現れています。
余計な線を見せないこと、そのために要素を減らすこと。
訪れる人が気づかないほどに消された線が、建築のうつくしさとなります。

ミースがドイツ出身と聞くと「機能美の礼讃」がわかる気がする
インダストリアル(工業)デザインに秀でた工業国 ドイツ。
バルセロナ・パビリオンという名前によってスペインの建築だと思ってしまいますが、そもそもは「バルセロナ万博のドイツ館」なのでドイツの建築と認識した方がしっくり来ます。
バルセロナ・チェア
このパビリオンのスペイン国王夫妻のためにデザインされたバルセロナ・チェア。
建築は直線と平面で構成されていましたが、このチェアはフレームがカーブしています。
クロムのフレームの細く優雅な曲線とシートの柔らかさが、硬質な空間バルセロナ・パビリオンのアクセントになっています。
オフィスビルなどのエントランスホールに置いてあるのをよく見かけますね。
座面が広く、深く、ゆったりとした座り心地です。
ガウディの次の時代のモダニズム
ミースのバルセロナ・パビリオンが完成したのは1929年、ガウディがバルセロナの路面電車により亡くなった3年後のことでした。
・ミース :機能性・合理性、水平・垂直の無機質な建築(モダニズム建築)
このふたつの相反する建築が同時期に同じ街で存在し、建築様式の移り変わりの舞台となったバルセロナ。
ガウディの死後、建築文化はミースが傾倒したモダニズムへと大きく舵を切っていきます。
ガウディを見たあとにミースを見ると、その世界観の違いに驚きます。

勝手な憶測ですが
ガウディは自分の建築に精一杯でミース”なんか”知らなそうだし
ミースも装飾いらない派だからガウディに興味なさそう
同じ都市にいながら、かすりもしてなさそうだけど…どうなんだろう
モダニズム建築の傑作、名作中の名作です。
バルセロナに訪れる際はぜひミースの建築も体感してきてください。
その後のミース
ミースはバルセロナ・パビリオン設計後、ドイツで住宅建築を手掛けます。
また、モダニズムの源流となるドイツの建築学校「バウハウス」校長にも就任。

Photo by Mewes
しかしバウハウスは第二次世界大戦前のナチスの圧力を受け閉鎖、ミースはこれを機にアメリカへ亡命します。

政治弾圧によりドイツから流出してしまった頭脳の中のひとりですね
ミースはアーマー工科大学(のちのイリノイ工科大学)教授をしながら大学の校舎群を設計し退官。
その後はニューヨークなどに高層ビルをガンガン建て、アメリカの近代都市形成に貢献しましました。
△アメリカ ニューヨーク シーグラム・ビルディング 1958年
巨大な物体なのに繊細さを感じる外観と、水平垂直に伸びる線のうつくしさ。
すこぶるインダストリーです。ドイツ感、かっこいい。
おまけ:ミースざっくり年表
1886 ドイツ・アーヘンに生まれる
1912 26歳 建築事務所をひらく
1914-18 28-32歳 第一次世界大戦 従軍
※ 戦後はロシア構成主義、デ・ステイルに近く
1921 35歳 高層オフィスビルのコンペ「鉄とガラスのスカイスクレイパー案」提出
※ スカイスクレイパー 超高層ビル、摩天楼(天に届かんばかりの高い建物)のこと
1929 43歳 スペイン万博のドイツ館「バルセロナ・パビリオン」設計
1930 44歳 ドイツの建築学校バウハウスの校長 就任
1933 46歳 バウハウス閉鎖(ナチス政権の弾圧)
※ アーマー工科大学(のちのイリノイ工科大学)の誘いを受けてアメリカに亡命
1938 52歳 建築学科教授を勤めながら大学校舎を設計開始
1939 53歳 第二次世界大戦 開始
1944 58歳 アメリカ市民権 取得
1945 59歳 第二次世界大戦 終戦
1956 70歳 アメリカ シカゴのアパートメント完成を皮切りに多数の超高層ビルを建築開始
1957 71歳 大学校舎を設計終了(合計≒50棟)
1958 72歳 大学教授 退官
1969 83歳 没
建築の見かた
ガウディを見たあとにミースを見ることは、ガウディの余韻をこわすことになるのか、それともミースを見ることでガウディが引き立つのか。
ガウディのアクが強すぎて、ミースの建築ひとつじゃこわれるなんてことはなさそうですね。
モダニズムと言われる建築は、その様式がいま生きている環境に当たり前にあるので、何がすごいのかがわかりづらいのが難点です。
ゴシック様式!竪穴式住居!なら違いがわかりやすいのですが。
見るポイントを押さえられれば楽しむ要素を発見できるけれど「当たり前じゃない?」と思ってしまうとスルーしてしまう問題。

Photographed by Fundació Mies van der Rohe
特にミースは、その要素を極力なくしているために見つけにくいです。
「これだけ?」と言われてしまいかねないほど削ぎ落とされ、洗練された建築。
見つけにいかなければあっさり終わってしまいます。
だけど一旦ミースを見てみると、街中にある洒落たデザインの建築やインテリアが、ミースの良しとしたミニマリズムに乗っかっていることがわかります。

Photographed by Fundació Mies van der Rohe
スペイン・バルセロナにひっそりあるモダニズム建築、バルセロナに行く際はぜひ。
▽スペインが舞台の小説「オリジン」はこちらで解説しています

▽スペイン ビルバオの現代建築の解説はこちらです
